今後、サブプライム騒動のようなバブル崩壊を何度起こそうとも、先進国で高齢化が進む限り、「世代間金融」を行うための金融は、益々発展するだろう。米国の年金ファンドは、今も国際金融の主要なプレイヤーだし、中東のオイルマネーも、次世代の為の運用に他ならない。また、今後は、高齢化が加速する中国が、貯め込んだ外貨の運用に乗り出すことになる。老後の資金の運用という急増するニーズに応えるため、金融は、益々重要になっていく。

もともと金融というのは、運用などは特にそうだが、少数の優秀な人で行ってきたものである。それでも、高度成長期には、株のブローカーや、支店で預金を集める銀行マン、生保レディなど、調達面である程度の技能をもった大量の人員を使ってきた。しかし、今は、株の取引、預金など、その殆どが、ネットでできてしまう。いまや、この産業は、天文学的な高給をとるごく少数の優秀な人と、その人をサポートし事務をこなす人だけで発展していく。逆に多くの人数をかけると、グローバルな競争に勝てなくて発展できない。つまり、金融業というのは、雇用面において、中流を減少させ格差を拡大する傾向がある。

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フランスは、欧州の中では比較的恵まれた気候条件で、農業生産力が大きかっただけでなく、いち早く大領域の民族国家が成立していた。だから、フランスはルイ王朝時代からナポレオン時代まで、東隣の今のドイツ領域に何度も一方的に侵入している。

 ところが1870年代の普仏戦争以降、今度は逆に、ドイツに一方的に攻め込まれるようになった。なぜ、仏独の国勢は攻守逆転したのだろうか? 実は、両国の人口が19世紀半ばに逆転しているのである。
ジャガイモで強くなったドイツに負けた

 これは、新大陸から導入されたジャガイモに負うところが大きい。ジャガイモは、ドイツ北東部のような低温地帯でも大量に収穫できた。さらに、それまで小さな多数の領邦国家に分断されていた独語圏が、ビスマルクの主導のもとに大領域の民族国家として統一されたこともある。文化・技術水準が同様であれば、人口が多い勢力が他を圧倒するのは当然である。

 この時代から、フランスでは「独軍兵士2人に仏軍兵士1人の割合の人口構成では、勝てるはずがない。人口維持水準を下回ってしまった出生率を、何とか回復しなければいけない」という政策議論が大いに高まった。今の日本における少子化対策の議論を、フランスは1世紀以上も前から始めているのだ。

 合計特殊出生率が人口維持水準に近い2.0を回復したフランスについて、日本では出生率回復のモデルケースのように言われている。しかし、見方を変えれば、フランスは1世紀以上にわたり、出生率回復に失敗し続けていたのである。現在でも欧州最大の人口国はドイツである(ロシアは除く)。だからこそ、フランスでは、人口学が早くから興隆し、今でも米と並ぶ人口学の頂点としての地位を保っているのである。

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在英ですが、休暇は充電でもあるんです。単に怠けてる時間ではありません。有給を目一杯使って楽しいホリデーを過ごすことで、復帰後の仕事に打ち込めるのです。定時退社も同じこと。夕方、家族や友人とくつろぐ時間をたっぷり持つことで、翌日もまた元気に働ける。プライベートが充実していないと、心身ともにパフォーマンスが落ちます。そしてそういう考え方が、上から下まで、社会全体に等しく共有されてる気がします。私も日本にいたときは、ネジをギリギリと巻けるところまで巻き上げて働くのが当然のように感じていました。でもこっちに来て、夫や友人、同僚たちの働き方、取引先の動き等々を日々観察しているうちに、仕事観が根本的に変わってしまいました。もう元に戻れそうにありません。

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ishibashi:

maskin:

Smashing Magazineで、請求書のデザインがいろいろと紹介されています。いくつかご紹介しますね。Graeme DuckettHicks DesignFrancisco…

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家は大きくなったが、家族は減った。 どんどん便利になったが、余暇は減った。 学位は取ったが、感性は鈍った。 知識は増えたが、判断ができなくなった。 専門家が増えた分だけ、問題も増えた。 薬は増えたが、健康だと思う人は減った。 ダライラマの言葉 「正義で地球は救えない」より

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あるシンポジウムで、児童相談施設の職員の人のお話を聞いたのだが、その中に素晴らしい例があったのだ。

 ちなみにこの方は「セラピスト」ということだった。セラピストの日本語訳もいろいろあるようだが、この場合は心理療法士ということらしい。


 で、その「上手なほめ言葉」は、「すごいね。どうやったらそんなふうにできるようになったの?」というものだった。


 その方が言うには「よく頑張ったね」とか「上手だね」とか「素晴らしいね」というのは、表面的なほめ言葉であって、ほめられた子供には強く響かないらしい。

 親が自分の子供をほめる場合にはそれでもよいそうだが、指導にあたっている人間が使うには稚拙なほめ言葉だそうだ。


 授業実践の記録を掲載しているサイトも多いが、それを見ると「いいね、いいね」とか「おっ、それは素晴らしいね」とか「きれいだね」などを連発している授業例も多い。

 たまに言われるのなら、言われた子供も嬉しいだろうが、(セラピストの方の言葉だと)あまり連発すると逆効果になることもあるそうだ。


 昔の殿様ならば、自分の家来をほめるときに「あっぱれ、あっぱれ」ですますことができただろう。言われた家来のほうも、それで十分に満足だったろうと思う。


 身分の区別がはっきりしている場合には、いわゆる「上の人間」からちょっとほめられただけでも効果があるのだが、教師と子供の人間関係は何十年も前のような「目上の教師・目下の子供」という関係ではなくなっている。

 「教師は子供よりもずっと上の立場だから『すごいね!』というだけで十分にほめたことになる」という考え方を持っている教師がいたとしたら改めたほうがよいだろう(^^;)


 余談めいたハナシになるが、私が大学生の頃、アマチュアロックバンドをやっていて、プロのロックバンドのコンサートの前座をやることも多かった。

 コンサートが終わった後、打ち上げでプロの方と飲んだりすることもあったが、そのときに「君たちのバンドもなかなかいいね」と言われると嬉しかったものの、それだけでは社交辞令のように感じた。たまに「プロになりたいのであれば、ウチの事務所に連絡してほしい。連絡先は‥‥」と名刺をもらったりすると、本当にほめられているように感じたものだ。

 大人でも、単に「いいですね」と言われるよりも、具体的な何かがあったほうが嬉しいのだから、子供ならなおさら「自分の行為がちゃんと認められている」と自覚できるようなほめ言葉が有効であろう。


 さて、例にあげた「すごいね。どうやったらそんなふうにできるようになったの?」だが、このほめ方が素晴らしいのは、ほめられた人間に自己の行為を振り返らせるところにある。


 ほめるということの目的は、自分の行為を有用感を認識させ、次の活動への意欲を増大させることにある。

 ただ単に「いいね、いいね」とか「上手だね」だけでは、精神的な満足感を与えることはできるかもしれないが、ほめられた人間が自分の行為を振り返り、そのやり方を他の活動にも生かすようにするには、その人間の個人的な内部の精神活動に期待するしかない。受け取る側がちょっとひねくれた受け取り方をしてしまえば「また、そんなおべっかを言って‥‥」という感じ方をすることにもなりかねない。


 ところが「どうやったらそんなふうにできるようになったの?」と言われたら、それに答えて「こうやったらできるようになったんだよ」と言うかどうかは別にして(謙遜して『そんなことは‥‥』と言う場合もあるだろうから)、自分の心の中では、「そうか、あれをこうしたからできるようになったんだな‥‥」と振り返ってみるに違いない。


 これは完全にほめることの目的に合致する。

 他者(教師)からほめられたという満足感だけでなく、「自分はこういう努力をして、こういうことができるようになった。それが他の人にも価値ある行動だと認められた」という認識を持つことができるからである。


 このほめ方は、いろんなバリエーションで活用できるだろう。

 「今の発表のしかたはよかったね。どういう工夫をしたら、こんなにわかりやすい発表にまとめることができたの?」とか「こんなにたくさんの資料をまとめるには大変だったろうね。どういう方法で資料を集めたのかな?」等々である。


 自分がそのために努力をしたのであれば、それが認められたという感じを持たせることができるし、それほど苦労をしないで何気なくやったことだったとしても「自分が何気なくやったあのことが良かったんだな」と自覚させることができる。

 ほめられた子以外の子供にも「先生は○○さんを調子よくおだてているな」という感じを持たせないで、「そうか、そういうやり方でやるとうまくいくんだな」と考えさせることもできる。


 単に子供の気分をよくするだけでなく、自己の行為を振り返らせ、その方法を自分の得意として自覚させ、自分の存在価値を認識させ、さらに他の子にも学習活動等のヒントを与えるということで、このほめ言葉は完璧だと思う。


 ただ、このほめ言葉には問題もある。それは子供のやっていることをきちんと見ていないとほめることができないということだ。

 子供がやっていることと違うことを、うわべだけ「すごいね。どうやったらそんなふうにできるようになったの?」とほめても、子供は「先生、何を言っているんだろう」としか受け取らないだろう。

 「先生はきちんと自分のことを見ていてくれる」という意識を持たせることができるほめ方だけが、子供の心に響くのである。


 そういう意味で、このほめ言葉は、たまにしか使えない(^^;)

上手なほめ言葉 (via petapeta) (via kml) (via gkojax) (via takufoo) (via shigesa) (via ssbt) (via iori) (via otsune) (via aokie)

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レヴィ=ストロースとともにフランスの知性が世界に君臨していた時代が完全に終わった。
同世代の知識人たちはもうみんな亡くなっている。
アルベール・カミュ、ジャン=ポール・サルトル、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、モーリス・メルロー=ポンティ、モーリス・ブランショ、ジョルジュ・バタイユ、ジャック・ラカン、ミシェル・フーコー、ロラン・バルト、レイモン・アロン、エマニュエル・レヴィナス・・・
この人たちがほんとうに狭い知的サークルにひしめいていたのである。

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食べログはログ部分には、返答以外では触れないものの、有料サービスでお金取ってますよ。店舗会員コンパネの裏側に回ればわかりますが。上位表示、店舗ページリッチ化、忘年会、ライバル店の店舗ページへの割り込み表示←これはすごいなど。

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教育者ほど差別者が多いのというのは、よく知られている事実だ。当該番組で解説を行っていた心理学者は、それをこう分析する。

「パワー(権力)とは、己を正しいと信じて疑わないことです」

教育者というものは、パワー(権力)を持った者である。

己を正しいと信じないことには、他人に説教はぶっこけないし、あれはいけません、これはいいことです、と指導することも出来ない。

しかも自分を正しいと信じ切っているからには、自らの正当性を脅かす者や事象を感知する(または感知して真剣に受け取る)こともないので、無敵・最強なのである。

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すでに企業サイトもメディアサイトも,必ずしも自社サイトでユーザーを囲い込もうとはしていない。RSSフィード,ウィジェット,YouTubeのブランドチャンネル,Facebookのファンサイト,Twitterアカウントなどなど,いろんなチャンネルを介してユーザーが企業のメッセージやメディアの記事と接することができるようにしている。  またユーザーの間では,企業サイトの情報やメディアサイトの記事を与えられたままではあまり信頼しなくなってきている。それよりも友人や特定の人のフィルターを通した形で情報や記事を信頼する傾向が強まっている。このため最近では,一般企業だけではなくて新聞や雑誌などのメディアもこぞって,ソーシャル系サイトにブランドチャンネルを置くようになっている。たとえばFacebookのFanサイトには,米国の有力な新聞や雑誌が相次いで特設ページを開設している。そのファンになれば,友人たちがどの記事に注目しているのか,どのような意見を持っているのかがわかる。

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