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(twitter design:tumblr) 主に、気になるテキストをReblogしています。

January 30, 2012 at 7:16pm
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Reblogged from kalapattar

いまぼくらは、限りなく選択肢の多い時代を生きている。読者が摂取できる情報の選択肢も増えている。けれども、社会が複雑になればなるほど、キュレーターやガイドの必要性は大きくなると見ている。そういう意味では「雑誌」の役割は変わらないと思うし、編集者の役割は、むしろますます大きくなってくると思う。雑誌をクラウドソーシングでつくるなんていう話はナンセンスだとぼくは思っている。だって、アナ・ウィンターが編集長でない『VOGUE』や、デイヴィッド・レムニックが編集長でない『THE NEW YORKER』を、ぼくは読みたいとは思わないよ。

— 「雑誌」とは何だ?とずっと自問自答している。その答えは、いまも出ていない – 読むが変わる from 『WIRED』VOL.2 « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズム (via kalapattar)

(via mediapicnic)

7:15pm
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Reblogged from kashino

なぜ、こうしたひとが橋下市長の手法に「ついてゆけない」のか朝生をみてわかったことがあって、ようは「ついてゆけない」のはビジネスモデルが理解できないということだろう。

ビジネス脳がないと、橋下市長の行動則はたぶん理解しにくいのではないのか。ビジネスをやってる人間からすると、橋下市長のやってることは至ってふつーのことだ。

・カスタマーへフォーカスする。
・細部をつめないで前にすすめる。
・やりながら最適化する。
・手法に執着しない。
・状況は変化してあたりまえ。
・言ってることも変化してあたりまえ。
・やってることも変化してあたりまえ。
・目標達成の最短行動をえらぶ。
・ぜんぶをコンセンサスとる必要はない。
・決定してから手法をかんがえる。

こーんなのは、今を生き抜くうえであたりまえのことで、薬師院やら香山やらはそういう脳みそをつかってないから判らない。反対派はすべてのプロセスをボトムアップですすめないとついてゆけず、コンセンサスに漏れあると問題視する。まさに日本が意見の集約ができず苦しんでいるのは、こうした過剰なコンセンサスで、政治家だけでなく「市民レベルで決定させないひとたち」をみるいい機会になった。

彼らは、橋下市長へしきりに「思想」とか「信条」をたずねてたけど、これは意味がない。橋下市長の政治では思想信条は重要じゃないからだ。興味もないかもしれない。興味があるのはビジネスモデルの整合性だろう。

反対派は橋下市長の目標値の設定よりもプロセスがどうしても気になるらしく、しきりに「言ったこととちがう!」と唱える。ビジネス脳がない彼らは「先に決定がくる手法」についてゆけないのだ。

— 

橋下市長に「ついてゆけない」ひとたち。 - 所長サンの哲学的投資生活 ( フィリピン攻略篇 )

なるほど。こういう考え方は確かにあるよね。僕もこういうふうに考えがち。たださ、政治や政策決定のやり方が「ビジネス脳」で考えた「ビジネスモデル」的で良いって本当なのか?

そして、こういう「ビジネスをやってる人間からすると、橋下市長のやってることは至ってふつーのことだ。」と言い切ってしまうと、ビジネスをやったことのない人への牽制になって、大学教員の中には同意するような人も出てくるだろうけれど、「ビジネスをやっている人間」もいろいろな人がいるわけで、全然「橋下市長のやってることは至ってふつーのこと」じゃないよ。

また、後段の過剰に「保証を要求する」というのは、そのとおりだと思う。ただね、このブログの筆者のようにセミリタイアできるだけの資産を形成しているようなリスク耐性が高い人ばかりじゃないから、人がもつリスク感覚がマチマチなのは当然なんじゃないの?そこを合意形成するプロセスを経ないで、専横的に物事を進めるのはやり過ぎだよな。確かに「ぜんぶをコンセンサスとる必要はない」けれど、マッタク「コンセンサスとる必要はない」わけではないんだよ。

橋下徹氏はその点とてつもなく老獪だよね。いかにも独裁専横的な決定をするかのような発言を繰り返しつつも、テレビ番組に頻繁に出つつ、マスコミを利用しつつ、巧みに合意形成へのプロセスを踏んでいる。政治家がマスコミを利用する観測気球的合意形成のプロセスは今までも存在したけれど、橋下氏のように視聴者であり投票権をもつ市民に直接訴えかけて合意形成をするやり方は斬新なように思うな。

(via kashino)

(via kashino)

7:11pm
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Reblogged from ssuummii

東京の東京人も、何年も前に、東京都の外郭団体からの発行だったのを、補助金打ち切りを機に、普通の出版から出すようになりましたよね。

— 大阪人、ピンチ: 西日本出版社代表ブログ (via ssuummii)

(via ssuummii)

January 29, 2012 at 11:06pm
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Reblogged from sugizou

これも一般的に飲食業界では有名な言葉です。
★人が集まる九ヶ条

1)人は人が集まる処へ集まる
2)人は快適な処へ集まる
3)人は噂になっている処へ集まる
4)人は夢の見られる処へ集まる
5)人は良いもののある処へ集まる
6)人は満足の得られる処へ集まる
7)人は自分の為になる処へ集まる
8)人は感動を求めて集まる
9)人は心を求めて集まる もっとも過ぎて感動した。

けど、これってぼくはWebにも言えるのではないかと思う。

— memorandum@tumblr.: (via umamoon) (via macotoi) (via diegoro, sugizou)

2010-01-11

(via quote-over100notes-jp) (via mcsgsym) (via detlog)

10:58pm
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Reblogged from carbondoubt

「日本の水道水は、蛇口からそのまま飲める世界でも珍しい例です。」
よく知られた話ですし、海外に行かれた経験をお持ちの方なら、それを肌で感じた場面があるかも知れません。
同じように水道水を、そのまま飲める国として「カンボジア王国」があることを御存知でしょうか?
今回は日本とカンボジア王国の水道水にまつわる話を紹介します。

カンボジア王国は、東南アジアに位置する熱帯雨林気候の国で、その豊富な降水量から「水の国」と呼ばれていました。
しかし、長年の内戦で水道インフラは破壊され、1990年代初頭は一日のうち、14時間も断水していました。

水質も悪く、水が悪ければ、おいしいご飯も炊けません。
水道水で炊いたご飯は茶色く色づいてしまったと言います。

おまけに漏水率も低く、その数値は72%。
つまり、供給された水道水のうち、7割以上が一般家庭に給水されるまえに途中の水道管から漏れだしたり、不法に接続された配管から水が盗まれていたのです。

特に首都プノンペンでは、政府高官が水を勝手に売って私腹を肥やす事態まで発生しました。
水道施設などのハード面でも、それを管理監督する人間のソフト面でも荒廃していたのです。

そこで救いの手を差しのべたのは、「北九州水道局」でした。
他の自治体にも打診はありましたが、「カンボジアは地雷の国」というイメージが強く、首を縦にふる自治体は現れませんでした。

主にJICA(独立行政法人 国際協力機構)の技術協力プロジェクトに参画することにより、まず首都プノンペン(人口約120万人)において、2003年から2006年にかけて浄水場の整備や水道管設置に大きく貢献しました。

その結果、以前は半日以上断水していた水道が24時間供給されるようになりました。
さらに2007年からは、カンボジア王国の主要都市(シェムリアップ市・シハヌークビル市・バッタンバン市・プルサット市・コンポンチャム市・カンポット市・コンポントム市・スバイリエン市)でも同様の技術協力事業を行っています。

また、現地に北九州水道局員を派遣するだけでなく、カンボジア王国からの研修生を北九州市に受け入れ、人材育成にも取り組んでいます。

もちろん困難もありました。
暴動に巻き込まれ、滞在していたホテルを焼け出されたり、帰国日前日の夜から翌日朝の出発ギリギリまで浄水場の捜査手順の確認をしたりと、現地での技術指導には、その国のならではのトラブルとの戦いもあったのです。

この技術協力のおかげで、プノンペンでの漏水率は2009年の時点で6.2%まで激減しました。
なお、ロサンゼルスは漏水率9%、ロンドンでも26.5%という数値です。
プノンペンでの漏水率がいかに優秀か、この数値でハッキリわかります。
(ちなみに東京は3%、これは世界最高水準です。)

漏水率が下がると、結果的に水道事業体の経営も改善され、サービスに還元されます。
つまり、「水道を設置したい!」と訴える住民が増え、普及が進み、それが水質向上につながる好循環が生まれたのです。

さらに、職員に制服を支給し、給与も上げて規律を高め、汚職も一掃。
水道料金も順調に徴収出来るようになりました。
水道水を供給する側にも、利用する側にも「蛇口をひねれば、すぐ飲める」という事が誇りになっていったのです。

こうした技術協力が成功するか否かは、現地の人々との信頼関係を築けるか否かが鍵になります。
上から目線で、「お前たちに与えてやる、感謝しろ。そのかわり儲けはよこせよ!」というスタンスでは絶対に信頼関係など築けるはずがありません。

お互いが同じ目標に向かって、共に汗をかき、共に苦労し、共に喜びを分かち合う。
このような姿勢が現地の人々に受け入れられたのでしょう。

任期を終えた北九州水道局職員が日本に帰国する際に、「またカンボジアに戻ってきてください」と、現地スタッフから寄せ書きが送られています。

また、プノンペン水道公社のエク・ソン・チャン総裁は、同公社事務所を訪ねた吉田一彦水道局長に対し、「私達は、北九州水道局を兄だと思っている。日本は経済成長のために、海外にどんどん進出すべきで北九州市は水道分野で、そのパイオニアだ」と挨拶されました。

日本の技術と支援が「信頼」という形になった何よりの証でした。

今日も、日本の技が生み出した透き通った水道水が、カンボジアの人々の喉を潤しています。

— ねずきちの ひとりごと カンボジアの水道水 (via tessar)

(Source: carbondoubt, via aokie)

10:54pm
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Reblogged from nakano

最近の学生が「自分の田舎に帰ってデザインの力でふる里を変えたい」と、ものすごい確率でそう言う。ちょっと恐ろしい。

メディアの影響を受け過ぎだし、そもそも、田舎にそういう刺激や、第一、仕事はそんなにないし、デザイン料なんて、ないでしょ?? それらがわかっていればよいのですが・・・・。

ある尊敬するデザイナーがその様子をこう言っていた。「東京の解決すべき問題から、逃げている」と。時代や、デザインの考え方としてのトレンド(!?)もあり、やっと「デザインとはデザイナーのお遊びじゃなくて、社会の問題を解決する大切な行為」ということが、広がってきていることは、いいことじゃないかなとは思う。

実際、どんな田舎町にいても、最近は、A 昔からそういう高い意識で地元と戦っていたデザイナー。B 最近、ふる里に帰ってきて、東京などの修行した経験を生かして、地元をデザインで活性化しようとしているデザイナー。C 僕のように、全国をひとつの視点で見て、AやBのような人が動きやすい生態系を考えるデザインプロデューサー。D そういう動きに触発された地元のデザイナー。E そういう動きに触発された地元のデザイン学生。そして、F そういう動きに触発されて故郷に帰るデザイナー、デザイン学生。


ん、こういう環境の中、地方企業の若社長や、市や県の人も若返り、そうしたことに補助金も設定され、観光もデザインされていく・・・・・。

プチ東京っぽいことが起こりだす。そして、ある都市のようにクリエイションをあきらめてしまう都市もあらわれる。いろいろ経験して「やっぱり、デザインは東京だよな」みたいなことで落ち着く場所も出て来る。


そういう事柄を全体的に理解した上で、どれだけの人が「田舎に帰ってデザインで活性化したい」と言っているかですね。

そう簡単なことではありませんよね。

— 

最近の学生が「自分の田舎に帰ってデザインの力でふる里を変えたい」と、ものすごい確率でそう言う。 - D&DEPARTMENT PROJECT (via nakano) (via tfujiki) (via oosawatechnica) (via kml) (via lazy-white-dragon)

2010-01-19

(via quote-over100notes-jp) (via mcsgsym) (via tiga)

(via ryu-ra)

(via matsunom) (via yuasa) (via yellowelephant) (via thresholdnote) (via kuon09reblog) (via superneet) (via mmqqbb)

(via miki7500)

January 28, 2012 at 11:38pm
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Reblogged from eternityscape

・「自前」とか「自腹」とか、
 それなりにじぶんの身を削って得る経験を、
 もっとしたほうがいいと思うんだよね。
 
 レシピとか、マニュアルとか、レビューとか、
 体験記とか、ランキングとか、
 なにかをしようと思ったり、使おうと思ったりすると、
 参考にできる情報が山ほどある。
 だから、なんにもしてない、手に入れてないうちから、
 「あれはいい」だの「これはこういう欠点がある」だの、
 すっかり知ったような気になれるわけだ。
 
 どんなものごとにも、長所と短所があるし、
 人にはそれぞれの好みもあるから、
 どれほどあらゆる情報を集めて検討したとしても、
 誰でも納得できるひとつの結論なんてものはない。
 それに、ものごとには、
 受け手の側の技術ってものもあるからね。
 どんなに優れた楽器を買ったって、
 演奏の腕がなければ、いい音楽は奏でられないわけでさ。
 
 比較検討、情報精査、最良の選択‥‥
 なんてことばかり、やってるのってケチくさくないか。
 「転びたくない一心で、全力で走らない」みたいな感じ。
 もっと損しろよ、と、ぼくは思うんです。
 買った本や映画がつまらなかったとか、
 行ってみた遊び場でおもしろくなかったとか、
 手に入れた家電があんまりよくなかったとか、
 失敗したり損したり、じぶんの裁量でやろうよ、もっと。
 まぁ、選んだ恋人がろくでもなかった
 ‥‥なんていう厳寒のケースも含めてさ、
 傷や痛みをある割合で引き受けたやつのほうが、
 損はしているかもしれないけど、心がでかいと思うんだ。
 
 ま、傷を負うのが目的ってわけじゃないんだけど、
 じぶんの人生は、「自前」で「自腹」だろう。
 資料だかデータだかばっかり凝視していたら、
 どれほど「失敗を避けられる」としても、
 「自前」の「自腹」のおもしろさがないよねー。
 失敗は成功のもとって、ほんとにほんとなんだぜ。

— ほぼ日刊イトイ新聞 - 目次 (via eternityscape)

(via eternityscape)

11:37pm
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Reblogged from bgnori

あなたを突き刺し、打ち砕き、恥じさせ、叩きのめした後に手を伸ばして学びに導くものこそ名言、名著。俺の言いたいこと全部言ってくれてる系は、あなたのしょぼいプライドを満足させて金をむしり取る道化。

— Twitter / @whosaysni (via bgnori)

(via miki7500)

11:29pm
Notes

幸福というのは、最後の目的地のことではなく、旅のしかたのことなのである。(マーガレット リー ランベック)

— Twitter / 名言bot (via d-d-d)

(via motomocomo)

11:26pm
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Reblogged from yellowblog

他人のやる気を引き出すのは、難しい。

やる気を出せと迫るより、寝ざめが悪いから仕事で死ぬなよと冗談にした方が、モチベーションになるときだってある。

他人の挫けた気持ちを立ち直らせるのは、難しい。

辞めたいと萎えた者を、甘えるなと鞭打ったり、辞めたければ辞めろとつき落としたりするよりも、今はそういう時期だよと休息をすすめることが、よほど会社にとってプラスに働くことがある。

 

ひとつ思うことは、死ぬ気を出せなんて滅多に口にするもんじゃあ、ない。

特に、自分と違う他人の人生に対しては。

— 死ぬ気と擬音と二つの葬式 - 背後からハミング (via yellowblog)

(via motomocomo)